次男と泉ヶ岳登山作品の価格はどのようにして決めれば良いのか、基本的な考え方や適切な価格設定があるのか、ギャラリーの方々や他のアーティストさんなど、たくさんの方に相談したり、ネットでも調べてみました。

価格設定の考え方にはサイズから算出、時間、経費などのコストを積上げる、需要と供給の交差する点などありますが、納得のいく答えが見つからないままモンモンとしてました。

ある時、閃いて答えが出ました。「誰かが私の家から勝手に私の作品を持って行きました。かなりショックです!! でも、現金が置いてありました。いくらだったら納得するかなと考えた時の金額」です。

この考え方にいろいろ思う事があるかと思いますが、周りを見れば見るほど、答えがない事を知りまし、この考え方は自分でもかなりしっくりきているので、この感覚が価格となっています。

秋の286
自分の中にあるものが反応して鏡の中に映ります。

くわがたがこわい 今日の仙台は日中は暑かったですが、空は秋っぽい感じでした。
夜のこの時間の風はとても涼しいです。

先日、次男と夏休みの宿題のレポートを書くために山形の天童に行ってきました。

天童市将棋資料館、駒の製造・販売の見学、足湯、ブドウ畑、山寺を回り、山寺の奥之院では キブンガイイ といメッセージを受け取り、気分良く帰路につくことができました。

キブンガイイも、オコルニマカセルも表現は違いますが、同じ事なんだなと思うのです。
それぞれの、経験、立場、環境が違うフィルターを通しての事ですから、当然ですよね。

以前は、そのように思えなくても、今は共感できたりとか、ちょっと時間がずれていただけで、今となってみれば同じなんですよね。

次男とは登山にも行きましたが、その登るスピードの早さには驚きでした。みんな変化してるんですよね。
それを成長とか劣化とか広がるとか開くとか閉じるか言いますが、今の私は「気分がいい」です。
写真は登山の帰り道でクワガタを見つけたところです。

黄金の月って良い曲ですよね今週は次男の誕生日で、恒例のトイザラスへ出かけました。
去年はまだ、天井が落ちたままの部分もある中での営業でしたが、今では震災の影響は何処にも見当たず、通常の賑わいでした。
次男は去年同様そんな事はお構いなしで、お目当てのプレゼントに小走りに向かいます。

また、来年はどんな気持ちで、ここに来る事になるのか・・・・まずは今日も元気でいてくれて、ありがとう。

最近は、人との繋がりから学ぶ事が多く、以前であれば 「続ける、続けない」 とか 「する、しない」 をはっきりさせていたのですが、任せる事、無理に決めない事を意識していたら、新しい出会いやこれまでに無い経験をさせていただいてます。

私の感覚ですが・・・・
自分にとっての良い選択を考えるより、この身体にとって、心地よい事、この身体は何処に行きたがっているのか?
ちょっと離れて自分を観てみると、良い感じです。

仙台も桜がさいた。最多、裂いた。桜が才田。今年も近所の三神峯公園では桜が咲いています。
去年は、何事もなかったように咲いている桜を見て、どんなことが事があっても桜は咲くのだなと、複雑な想いを寄せていました。

今年は少し落ち着いた気持ちで見ることができます。

いつもながら、自然の理に都合の良い解釈をする自分に苦笑いです。
石川の白山比咩神社にお参りした時に、ただそこにある尊さというか、純粋な潔さのようなものを、改めて感じたのですが、桜や自然の美しさにも同じエネルギーを感じますね。

7歳の誕生日です。8歳の誕生日です。最近の印象的な会話や出来事をメモ的にエントリー

今週は次男の8回目の誕生日でした。左の写真は去年の誕生日で、右が今年の誕生日の写真です。
彼なりに、私なりに、いろんな事があった一年ですが、世の中がどうであれ次男には、この日にトイザラスに行く事がなにより大切なのです。
毎年一緒にトイザラスに行ける事が、幸せな事と思ってはいましたが、今年は違った想いで誕生日を迎えました。
来年はどんな景色を見ながらトイザラスに向かう事になるのか・・・・。

今週は3日間、都内で過ごしました。久しぶりにお会いする方々と、お話することが出来て、安心したり、認識が変わったり、予感がしたり、自分を確認する時間を過ごすことが出来ました。

夕暮れ時に一人で明治神宮に行く機会があり、帰り道に長い参道の前にも後ろにも、誰もいない事に気づいたら、感情が込上げてきて、何が起こっているのかなと思っていたら、いくつかの感情をそこに置いてきた事に気づきました。サヨナラです。

同じ出来事でも認識の違いで、感情、身体、環境、全てが違ったものになる。

子供が無邪気に遊んでいる光景を見て、自分勝手とは思わないけど、大人が遊んでいる光景を見て、無責任とか許せないと思う事は、子供とその人を勝手に、自分の価値観で見ているから。
どの辺の行動から無責任とか、自分勝手な人と感じるかを、自分自身の内側を観察するのもおもしろい。

今の状況で幸せと思えないと、どんな状況になっても幸せと思えません。

震災で全てを流された父親に 「先の事を考えるより今の事を考えて、今した方が良いだろ 」 と言われてしまいました。
両親は震災以来、私に不安や愚痴や後悔の念をつぶやいた事はありません。

満月の翌日だからでしょうか、この事は諦めて次に進みなさい。という出来事が3つありました。


震災から3週間が経ちました。私事ですが海岸沿いに住む両親は避難して無事でしたが、実家は津波に流されてしまい、両親は実家からあまり離れていない妹夫婦の家で生活しています。

何人かの親戚とはまだ、連絡がとれていない状況で、日が経つにつれ連絡が取れていない友人・知人がいる事を聞かされるようになりました。

この瞬間も自衛隊、ボランティアの方々、県外、海外から瓦礫の撤去やライフラインの復旧の為に自分の生活を差し置いて被災地にて活動されている方々には本当にありがたい事だなという気持ちです。
札幌市の水道局の車や なにわ ナンバーの救急車とか出雲市の災害救助車などを見かける度に、余震が続く被災地での活動をご家族がご心配されているのではないかと思います。

避難所での生活が続いている方もたくさんいらっしゃいますし、被害の大きい実家の近くを車で走ると復興に向けてという言葉はまだ、うまく当てはまらないかもしれません。
それでも両親に会いに行く度に道路から瓦礫が撤去されていたり、水道、電気が使えるようになったりと、少しづつ始っている事を実感します。
仙台市内の中心部ではスーパーに並ばずに買い物が出来るようになりましたし、ガソリンもそんなに並ばずに買える様になりました。

先日、早朝にカラスの声を聞いて、そういえば震災以来カラスの声を聞いていなかったなと思い、カラスが戻ってきたのなら、そろそろ落ち着いてくるのかなと思いました。

上野や隅田川のお花見を自粛しているニュースを見て、そういば桜の季節かと気づかされましたが、静かにしていても桜は咲くのだし、隅田川の近所に住んでいたこともあり、時間帯と節度を守ればと、ちょっと残念な気がするのですが。


この震災で改めて、気づかされた事があります。
みなさんからの心からのお言葉
一人ではない事を知った時
相手を思いやる事
隣り合った人にこんなにも優しくなれる事
電気が使えるようになり、部屋に光がさした時
部屋が温かくなった時
子供たちは不平を言わず、いつも元気だった事
温かい食事を口にした時、そしてコーヒーを2杯つづけて無言で飲んだ時
両親に会った時
歩きつづけて実家の前に立った時
親戚の家で久しぶりにお風呂に入った時
必要なものだけで生活する事
わずかな食事でも充分な事
夕日を窓から眺める事
いつも日が昇る事
改めて感謝の気持ちがどんなものかを知らされました。

すべてが奇跡の連続である事
奇跡の連続が今の積み重ねである事

今、ここにあることに感謝します。
自戒こめて。

13人分作りました。スキーは楽しいなんでもそうだとは思いますが、慣れてしまえば簡単ですが、慣れるまで大変なことってありますよね。
例えばお菓子作りとか・・・・。

お菓子作りの経験がほとんどない娘が、友達13人と手作りチョコを交換するとかで、いろいろ経験させていただきました。
まず、予想通り?に味は悪くないのですが見た目が地味なチョコケーキを娘が作りました。
これだけではちょっと・・・・ということで、近所のショッピングモールで溶かして混ぜるとチョコフレークが出来るセットを購入し、チョコケーキに乗っけると結構それっぽく出来て、ラッピングしてなんとかなりました。
私としては来年はチョコと生クリームを混ぜて型に流して終わりで良いかな・・・・。

先週末は次男と車で1時間くらいの所にあるスキー場に行ってきました。次男はスキーデビューでした。
最近は子供にスノボーを教えるパパが増えましたね。
親バカですが、次男はセンスがあるのか、あまり苦労しないで滑ってました。初心者のスタイルではなく、上級者のスタイルを真似するので理由を聞いてみると wii では上級者のように滑っているからとのことでした・・・・。

今日はお休みで、ウチもソトもゆっくりできました。以前は、行きたい所はあっても、してみたい事がない自分に呆然としていた事がありましたが、最近は自分の意思とは関係なく感情が揺さぶられる事が起こったり、必要な場所に身体が運ばれていくものなんだなと実感しています。

寒いね。風邪ひいてない?気がつけば1月も折り返しで仙台の寒さも厳しくなってきました。

小6の娘と本屋さんに行ったら、娘が赤ちゃんの名づけの本を読んでました。
自分の名前の事でも調べてるのかな? と思って聞いたらネットに公開する小説の登場人物の名前を決めるのに参考にしているとの事。
娘はこれまでに、いくつかの小説を公開しているとは聞いてましたが、名づけの本のコーナーに立つ小学生には見ていて違和感がありましたが、理由を知れば納得ですけど・・・・。
ネットで検索すると名づけのサイトが出てくるよと、教えました。
DVDですが ココ・アヴァン・シャネル を見ました。恵まれていたわけではない生活環境から異端であることを恐れない発想と勇気を世に表現して見せた行動力に脱帽です。見終わってからネットでココ・シャネルについて調べてたら偶然ココ・シャネルの命日でした。
トイ・ストーリー3 は子供たちと見ました。覚悟を決めて手を繋いだシーンのところから終わりまで泣いてました。あんなに泣けるとは。

写真は近所の公園に咲く冬桜です。

春かなと思ったら雪が降ったね。ご存知かと思いますが "personality パーソナリティ" の語源はラテン語の "persona" 古代に役者が使用した仮面の事で、
さらに "persona" の語源は "sonare" 音を出す の意味で 、役者の演じている声が、仮面を通じて響いている事を示しているそうです。

自分という役柄を演じているとう側面から考えれば 「なりたい自分になれる」 という表現はありですね。

その人は自分が自分である為に、その役柄を演じてくている。
存在してくれていると、様々な場面で感じます。

その役柄でその人の事を決めてしまいがちですが、仮面の向こうの様子を感じる事で、優しくなれるね。

マイナスイオンたっぷりん昔々、有名なお坊さんが旅の途中に水溜りで手を洗っていると、子供に 「その水は汚いよ」 と言われ、お坊さんが子供に 「世の中にきれい、汚いはないよ」 と返したら、子供に 「それではなぜ、手を洗うのか」 と言われ、その子供を弟子した。

理屈と屁理屈の違いはなにか?

友人に聞いたら 「みんな屁理屈やわ」 と教えられ、すっきり。

写真は日本三名瀑に数えれられる秋保大滝です。かなり近くまでいけるのでお気に入りです。
引き寄せってどうよ?左の写真は小学4年になる娘のベッドに貼り付けられている 「オマジナイ」 です。

このメッセージを見て 「期限を入れた方が良いよ」 「お願いでなくて手に入った事を前提に・・・」 「写真も・・・」 など思われるかもしれませんが、娘はこの 「オマジナイ」 で家族でディズニーランド、一輪車、電子ピアノ、DSなどを手にしています。

これまでは、なんとなくお願いしていたが、今回はサンタクロースにお願いしているのは娘なりにハードルの高さを感じているのではないだろうか。大いなる存在は今の娘にとってはサンタという事になるようだ。

親戚からいただいたり、貯金に上乗せしてなど欲しいものを手にする方法は様々ですが、私からみてストレスなく手にしていると思う。

娘に 「紙に書いて貼っておくと、その通りになるよ。」 と教えたのは私ですが、疑うことなく、質問することなく、実行して、しかもカードに色を付けたり、張る場所を時々変えたりして、自分の発想で楽しんで継続しているのは娘だ。

ただ、その日が来るのを信じて楽しみにしています。



いつから、手に入らない理由を考えたり、本を何冊も読んだり、セミナーに参加しないと、欲しいものが手に入らないと勘違いするようになるのですかね?

清水寺清水寺の本堂にて・・・。
清水寺ここ数日の離れたところに住む友人たちとの電話での会話をメモ的にエントリー

誤解・・・・されていると思っても自分と相手との関係においては、相手は最も適切な認識を選択した幸せな状態にあるので、そのままにしておいて問題はありません。

誤解を解こうとする行為も必要かもしれませんが、自然に解けた時の自分の経験を思い出したり、相手の気持ちを思うと、やさしい気持ちになりませんか。


なぜ・・・・・とワケは 「考えない」 「聞かない」 答えはあとでわかるから。


まず自分に・・・・
人にやさしくありたいなら、まず自分にやさしくすることです。


期待しない・・・・
自分がその結果について出来る事をすればするほど、期待する気持ちは薄れ、その結果がどうであれ、ありのままに受取れるようになります。
人間関係においては、残念ながら出来ることは少なくて、理解しているつもりでも多くの場合は期待してしまいますね。
・・・・・希望は時として必要です。


静かに・・・・していましょう。わずかな時間だとしても、とても大切なことです。

四季桜といって春と秋に2回咲きます。コミュニケーションを上手にとることに悩まれている方がいらっしゃいますが、それは話を聴くことで解決します。

コミュニケーションをとりたい相手が何も話してくれないのに、そこに居るのであれば、その状態はすでにコミュニケーションがとれている状態なので相手に気を使ったり何かしらのストレスを感じる必要はありません。

スムーズな会話のやり取りが出来ているからといってコミュニケーションが取れていると感るのは美しい幻想です。

話し方や話題とか見た目なども大切ですが、聴くことはとても大切で、しかもとても難しいことです。

意識的にコミュニケーションをとる必要はありません。好意的に相手を迎えていればすでにコミュニケーションはとれています。

赤ちゃんやペットや植物など人によっては楽器や絵画や写真などコミュニケーションの達人がそれを教えてくれています。

写真は竹駒神社 境内に咲く四季桜です。春とこの時期に咲くそうです。

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